保存食やこの辺りで獲れた小型の草食動物で粗末な夕食をとった後は、特に何をするということもなかった。 これから行く道について簡単に確認するくらいである。あとは、明日に備えて早めに寝るだけだ。 といっても、4人一斉に眠る訳ではない。それでは魔物に襲われた時全滅しかねない。夜間は、交代交代に寝ずの見張りをたてるのが旅人の間での常識だ。 ひとり旅の場合は、一晩中起きているのは辛いから、なるべく野宿せずにすむよう計画立てて進むものだが、4人もいればひとり当たりの負担はぐっと少なくなる。 見張りの順番は、いつも簡単なくじで決めていた。 最初と最後の順番になった者は、まとまった睡眠時間がとれるが、2番3番の者は寝入ったかと思えば起きて役目をこなさなければならず、比較的辛いと言える。 だからこその公平なくじ引きである。 たまに2番3番を引き当てたリチェアにイザナが代わることを申し出たりもするが、彼女はいつも断っていた。それではくじ引きの意味がなくなるからだ。 ちろちろと小さな火を灯すばかりのたき火の前に座り込んだりチェアは、ゆっくりと、伺うように周囲を見回した。 すぐ近くにはユラが、その先にはカイトが横になっていて、少し離れたところにイザナが岩にもたれるようにして座っている。何か異変が起こった時にすぐに対処できるようにということらしいが、そんな格好で眠っては疲れがとれないのではないだろうか、と少し心配になる。 リチェアはわずかに眉をひそめて彼の方を見つめ、そして軽く首を振って、たき火に目を移した。思考を素早く切り替える。 つい20〜30分程前にリチェアに見張りの役目を引き継いだカイトを含め、3人はとてもよく眠っているようだ。 桜色の髪の少女は真剣な顔つきで、こくんと小さくうなずいた。 (ちゃーんす!) なんて自分は幸運なんだろう。こんなにも早く、アレを試せる機会に恵まれるとは。 アレというのは、勿論、夕方ユラに教えてもらった胸を大きくする方法である。 きちんと理に適った、とても素晴らしい方法だ。 しかし、流石にアレを人前でするのは、はばかられた。おまけに、魔物のはびこる危険な山野を旅している時は常に4人一緒に行動していて、ひとりになれる時間はほとんどない。 せっかく良い方法を教わったのに、試す機会がないのでは、と残念に思っていたが、幸運を司るとされる光の女神はリチェアにちゃんと微笑んでくれた。 厳密に言えば、この状態は”ひとりきり”ではないが、みんなの意識がここになければ同じことである。 そして、今夜の見張り役の順番もまた、リチェアにとって都合の良いものだ。最初がカイトで次がリチェア、ユラが3番目で最後がイザナである。 これは理想的な順番だ。何故かというと、たとえばリチェアがアレに一生けんめいになりすぎて時間を忘れ、次の順番の者が起きてきて現場を目撃されでもしたら非常に恥ずかしい。 だがユラなら事情を知っているし、見られても平気………という訳ではないが、男2人と比べたら格段にマシである。 ついでに、リチェアが見張りの一番手だったり、リチェアの前がイザナだったりするとマズかった。彼は(リチェアに対しては)優しいから、一緒に起きていてくれることがあるのである。その気持ちは嬉しいが、そうなれば当然アレはできない。 リチェアはもう一度、注意深く辺りを見回した。 3人が本当に眠っているかどうか、できれば覗き込んで確認したいところだが、そんなことをすれば気配に敏感なイザナは目を覚ましかねない。 (うん。大丈夫だよね) しばらく様子を見た後、リチェアはそう結論づけた。 (よーし) おもむろに、胸の上に手を置いてみる。 実際に触れてみると、まあ、ないことはないのだ。ただ、服を着るとどこが胸だか分からなくなるだけで。 それこそが、大きな問題なのだが。 はぁー、とリチェアは長い息を吐いた。だが現状を嘆いているだけでは、何も変わらない。 たとえ今は悲しいくらいのボリュームしかなくても、一生けんめい努力すれば、ユラのような女性らしい曲線美を手に入れることができるかもしれない。 どの程度まで大きくできるのかは分からないが、少なくとも今よりは豊かになるに違いない。 リチェアはふと、子供のころに故郷の城で行われたパーティーで見た女性のことを思い出した。 おそらくあれは、どこかの貴族の夫人ではなかっただろうか。 淡い金髪をきつく巻き、華やかな化粧をして、胸元の大きく開いた漆黒のロングドレスを身にまとっていた。肌にぴったりと張りついているかのような、大胆なデザインのドレスが包み込むその肢体は、まだ子供だったリチェアに、大人の女性への強い憧れの念を抱かせるに充分すぎるものだった。 そう、あの時も訊いたのだ。 ―――――どうやったら、そんなおむねになれるんですか? 夫人は紅に彩られた唇に優しい笑みを浮かべ、幼いリチェアと目線を合わせるために腰を落とした。甘い花のような香りが、ほのかに漂ったのを覚えている。 ―――――姫様も、大人におなりあそばせば、自然と大きくおなりになりますわ。 なりませんでした。 (だけど、これからは違います。夫人や、ユラちゃんを目指して、私、がんばります!!) あくまでも前向きに、心の中でそう宣言すると、彼女は両手を動かしはじめた。 何かがこすれあうような音がして、カイトは重い瞼をあげた。 風の音かな、と、目覚めきっていないぼんやりとした思考の中で考える。黒い毛に覆われた三角形の猫耳は、自然と左右にゆっくりと動いていた。 獣妖ハーフである彼の耳は実に高性能で、小さな音でもよく拾う。特にこうした野外では、そのせいで眠りを妨げられることもしばしばあった。 魔物が襲ってきたのならば、悠長に寝てはいられないが、見張り役が騒いでいないのだから、それはないだろう。 寝具代わりに体に掛けていた旅用マントを肩の上まで引き上げると彼は再び目を閉じた。すぐにも、夢の世界から手が伸びてくる。揺りかごの上にいるような、心地よい浮遊感に全身が包み込まれてゆく。 「……………はぁ、……………はぁ」 カイトは黄金色の瞳をカッと見開いた。眠りに落ちると共に、ゆっくりと伏せられていた猫耳が、勢いよくピンと立つ。 (え?え?え?) カイトの脳は一瞬にして疑問符で埋めつくされた。 今、聞こえてきたのは、確かに人の声だった。 というか、荒い息づかいだ。同時に、こすれるような音もまだ続いている。先刻よりも大きくなっているように思えた。 明らかに風の音ではない。これはおそらく衣擦れの音だ。 (な、何?何?コレ?) 目を剥いたままの表情で、カイトは硬直していた。 混乱する思考の中で、やけに冷静な部分がすぐにひとつの結論を導き出す。カイトは頭は良いのだ。そうでなければ魔術師などやってはいられない。 「はぁ、あッ…………んッ」 獣妖の鋭敏な聴覚は、これはリチェアのものだと告げている。 周りの者をはばかってか、できる限り小さく押し殺したような、喘ぎ声。 そして、服同士が触れあって発せられているような、衣擦れの音。 (コレってもしかしなくても大人の世界のアレですかーーーーッ!?) 悲鳴をあげたい気持ちを、カイトは必死に抑えた。今、目覚めていることがバレれば、カイトは確実に殺される。 いや、見られて困るのならこんな場所で仲良くするのは止めて欲しいというのが本音だが、まぁそこはそれイザナも実年齢はともかく精神的にも身体的にもまだ若いしリチェアにいたってはそれこそお年頃な年齢で、全くこれだから最近の若者は羞恥心というものが欠如しているよ、と、カイト(25歳、独身、カノジョとはキスどまり)は思った。 (ああああ〜嫌だーッ!こんな汚れた世界見たくないーーーーッ!!) 見る必要はないし、リチェアの方には背を向けているから、どのみち見ようとしなければ見えはしない。 だが、獣妖の耳はその音を正確に捉えてしまう。 音が聞こえてくれば、脳は勝手にそれを映像化してしまう。 アレがソレでソレがアレでむにゃむにゃなカンジの光景。 (ひいぃぃぃぃぃッ!……………って、あれ?) カイトは、ずっと見開いたままだった目を瞬いた。そうして、視線の先にあるものを、改めて確認する。 いや、正しくは、”ある”ではなく”いる”ものだ。 (イザナ?) そう、そこにはイザナがいた。 大岩に背を預け、いつも持っている倭国刀を腕の中に抱え込み、深くうつむくようにして座り込んでいる。眠っているのだ。 (えーと………) 思えば、カイトはずっとそちらの方向に視線を向けていたのだから、もっと早くに気付いてもよかったのだ。 イザナは、カイトが目覚めてからずっと、同じ姿勢でピクリとも動かずに眠っていた。背後に神経を集中していたせいで、見えてはいても心に入ってこなかったのだ。 (ど、どういうコトなの…………?) カイトがイザナの姿に釘付けになっている間も、背中から聞こえてくる悩ましげな声と音は止まらない。 やはり、どう聞いてもリチェアが誰かとあはんうふんな状況であるとしか思えない。 しかし、彼女の恋人である筈のイザナは、カイトの目の前で御寝あそばしておられる。 ということは、リチェアの相手は彼ではない。 (じゃあ、リチェアは誰と?) それは、すぐに解ける疑問であった。カイト達は、4人で旅をしているのだ。 イザナではなく、勿論カイトでもないのだから、残るは、ひとりしかいない。 (ま、ま、ま、まままま、ましゃかッ!!) こんな人里離れた場所で、他の人物というのも考えられないし、いくらなんでもゆきずりの人とむにゃむにゃな行為をしたりはしないだろう。 考えられるのは、ただひとつ。 (ユラが、リチェアとぉぉぉぉぉッ!!??) 白百合のごとく清純な少女達が織りなす、甘美で淫らな世界。 女の子と女の子の、禁断の、愛。 (はうぅぅぅぅぅッ!!!!) カイトは失神した。 「ふぅ…………」 どれくらいの間、そうしていただろうか。 リチェアは手を止め、一息ついた。疲労で少し重くなった両手を、だらりと地面に下ろす。 ひとっ走りしてきたような、心地よい疲労感が思考力を鈍らせていた。 ぼんやりとした瞳で空を見上げれば、月が大分傾いている。そろそろ交代の時間も近いかもしれない。 (やっぱり夢中になりすぎちゃった) リチェアは周囲を見回した。 ユラもイザナも、先刻確認した時と変わらぬ姿で眠っている。カイトだけは、両手を大きく空に突き出すという妙な格好になっていた。長い期間一緒に旅をしているが、彼の寝相がこんなに悪かっただなんて新発見だ。 くすりと笑みを洩らしつつ、少女は安堵する。 (良かった。誰にも気づかれなかったみたい) 最初は若干の恥ずかしさもあってか、控えめな動きだったものの、やっているうちに段々調子にのってきて、かなり大胆な揉み方になってしまったのだ。 おまけに何故だか自然に息苦しいような感覚に襲われて、呼吸が荒くなってしまった。周りの者にそれが聞こえないようにと必死で抑えていたら、今度は変な声が出たりもした。 改めて思い返すと、頬が熱くなる。 ちょっと手を動かすくらいならともかく、あんな声まであげてしまっては、本当に、イザナあたりを起こしかねない。 (今度からは、気をつけなくちゃ) そう心に誓うと、リチェアは胸元を見下ろした。 少しは大きくなっただろうか。一見して、変化は感じられない。触れてみても、特に変わった感じはしない。 少女は軽く首を傾げた。 目立った効果は感じられないが、それでも結構な時間刺激を与えたのだから、全く変化がないということはないだろう。 多分、違いが微妙すぎて、自分には分からないだけなのだ。 きっとそうだ。 |