西の空が赤く染まって、今日という日も終わりを迎えようとしている。 凶暴な魔物が生息する山野を夜間にうろつくのは危険な行為だ。周りに障害物となるものが何もない場所ならば話は別だが、ここのように巨大な岩石がそここに転がっているような場所では、無理せずひとつところにとどまって夜を明かした方が良い。 そんな訳で、今日も今日とてユラ達は野営をするため、各々準備をしていた。 カイトとイザナは食料になりそうな植物や野獣を探しに出かけ、ユラとリチェアは石や木の枝などを使って簡易のかまどを作っていた。 いつもは大体ユラと共に残るのはカイトなのだが、今日は違っていた。 特に深い意味はなく、ただ単純にユラとリチェアの間で他愛無いお喋りが盛り上がっていて、カイトの方が遠慮をしたというだけの話である。 イザナは最上級に不満そうだったが、リチェアがとても楽しそうにお喋りをしているのを中断させるのは、流石に気がひけたらしい。 他愛無いお喋りの話題とは本当に他愛無く、ユラの友達には相当に変わり者がいるだとか、変わり者と言えばヴェルハラは元気でやっているかとか、彼女の夫をやっているイリアは相当な大物だとか、2人の子供であるフォレストは、果たしてどちらに似ているのかとか、自分達もあんな可愛い子供が欲しいね、などといった、男性陣にとってはちょっと入りづらい内容にまで発展していた。 カイトが、苦手なイザナと行動することを選んでまで”遠慮”したのも、本音を言えば四六時中リチェアと共に行動したい筈のイザナが大人しく引き下がったのも、それが大きな理由であった。 逃げたのだ。 どうにも情けない男たちがいなくなり、女の子達の話題は、さらに遠慮のない方向へと進みつつあった。 「ねぇ、ユラちゃん。どうやったら、ユラちゃんみたいに、胸がおっきくなるのかな」 出来上がったかまどに小ぶりな鍋を乗せながら、リチェアが言った。 「えッ!?」 直球すぎる問いかけに、ユラは面食らってしまう。大きく目を見張った彼女に、リチェアは真剣そのものの表情で、繰り返す。 「私、ユラちゃんみたいにおっきくなりたいの」 言いながら、彼女の手は自身の胸元に置かれていた。 リチェアという少女は、全体的に華奢な体型である。 肩も腰も腕も足も、きゅっと引き締まっていて無駄な肉は何処にもついていない。それは、胸とて例外ではなかった。 「う〜ん。と、言われてもねぇ………」 ユラは苦笑いを浮かべつつ、首を傾げた。 「特別何かしたってワケじゃないし………気がついたらこうなってたんだケド………」 そのあたりの記憶は、とても曖昧である。子供のころは、当然ぺったんこだった訳だが、膨らみはじめた時期だとか、どれくらいかかって現在の大きさにまで至ったのかは、全く覚えていないのだ。 それはおそらく、ユラが思春期に胸の大きさについて特に不満を抱いたことがないせいだろう。背の低さについては、散々気にしたものだが。 困惑顔のユラに、リチェアも細い眉をきゅっと寄せた。軽くうつむく。 「私も………大人になったら自然におっきくなると思ってたの………」 それは、いつも前向きな彼女にしては珍しく沈んだ声音だった。桜色の柔らかな髪の毛が、愛らしい顔に影を落としている。細い指先が、服の胸元を掴んちいさな皺を作った。 「でも、そんなにおっきくならなかったの………」 澄んだ声はかすかに震えていて、聞いているこちらの方が切なくなってくる。普段弱音を吐くことのないリチェアだからこそ、心の底から痛々しい。 「そ、そんな、リっちゃんの胸だってカワイーじゃない!大きいのなんて、邪魔なだけだし、年とると垂れてくるっていうし、小ぶりな方が、ゼッタイ良いって!!」 ユラは、パン、と胸の前で両手のひらを合わせ、できる限り明るい笑顔で早口に言った。 そしてその表情のまま、凍りつく。 (しまったーーーーーーッ!!) 「小ぶり…………だよね」 リチェアは、笑んでいた。ユラの失言を責めることもなく、少し困ったような色を混ぜた笑みを浮かべていた。 痛い。痛すぎる。 「あのッ、リっちゃんッ!」 「ううん、いいの。可愛いって言ってくれてありがとう、ユラちゃん。嬉しい」 穏やかな表情を崩すことなく、リチェアは言った。 この話題はこれで終わり、というように、後ろを振り向いて、”イザナ達まだ帰ってこないかな”とつぶやく。 (マズイわ………傷つけちゃったかも………) ユラは唇を軽く引き絞った。 コンプレックスは、人それぞれである。ユラとて、チビだとか身長の低さに類することを言われたら嫌な気分になる。 リチェアにとっては胸の小ささがそれなのだ。 ”そのままで良いのだ”と人に言われたとしても、やはり心のどこかで納得しきれないのが、コンプレックスというやつである。 (なにか、何かなかったかしら………胸が大きくなる方法) こめかみに人差し指をあてて、記憶の中を探してみる。 故郷にいた折、女友達数人とその手の話題で盛り上がったことがあった筈だ。リチェアと同じように胸の小ささに悩んでいる友人がいて、ユラの胸がうらやましいという話になって。 (あー、でもあの子ってば、背は高くってスラッとしてたのよねー………) ユラ的には、そちらの方がうらやましい限りだった。 人間というのは、と書く自分にないものを求めることにばかり躍起になって、自分の良いところには気付かないものである。 それはともかく、と、ユラは記憶の糸をさらに手繰る。 確かあれは夏の夜、ユラの家に友人達が泊まりに来ていた時のことだ。みんな寝巻き姿で、ユラの部屋で夜通し色々なことを語りあった時。 よしよし、段々思い出してきたぞ、と、ユラはこくこくうなずいた。 「……………ユラちゃん?」 うーん、とうなってみたり、ため息をついてみたり、したり顔でうなずいたりしている空色の髪の娘を見て、リチェアはきょとんとして首を傾げた。 だが、記憶を呼び覚ますことに夢中になっているユラは、それに気付かない。 リチェアは、逆方向に首を傾けた。 その瞬間、ユラはひらめいた!とばかりに青い瞳を見開いた。リチェアは、長い睫毛がふちどる瞳をぱちぱちと瞬く。 「あったわ!!」 ユラはリチェアの肩を掴むと、その体をぐいっと近くに引き寄せた。桜色の髪の少女は全く事態を理解できないまま、”ひゃうっ”っと奇妙な悲鳴をあげる。 空色の髪の娘は喜びいっぱいの表情を浮かべ、 「胸は、揉むと大きくなるのよ!リっちゃん!」 歌を媒介とする歌唱魔術の使い手として鍛えられた、力強く美しい声を、高らかに響かせた。山彦でも返ってきそうな大声である。 口に出してしまってからそれに気付き、ユラは少しだけ頬を朱に染めた。慌てて、周囲を確認する。 そこら中に大岩が並んでいて分かりづらいが、とりあえず見える範囲には誰もいない。 ホッと胸をなでおろすと、未だにきょとん顔のリチェアに、囁いた。 「……ほら、運動してると、筋肉がついてくるじゃない。それと同じようなコトじゃないかしら。刺激を与えるのがいいって、昔あたしの友達が言ってたの」 その友人は、ユラほどではないにしろ、それなりの大きさの胸の持ち主だった。説得力はある。当時、小さい胸に悩んでいた友人も、その話には飛びついていた。 「もむと、おっきく…………?」 リチェアは、まるで意味の分からない言語のように、抑揚のない声でつぶやいた。 「そうそう、だからさ、えぇと…………」 ユラは、もごもごと口ごもった。 冷静に考えてみると、凄いことを口にしなければならないことになる。 そもそもこの方法を提案した友人には恋人がいて、悩みを抱えていた友人には恋人がいなかった。つまりこの方法を実践するには、彼女は自分で自分の胸を揉むしかないというオチがついていた。 ―――――そんなの、そんなのッ!ムナしすぎるわーーーーーッ!! そう嘆く友人に、失礼ながら大爆笑してしまったのは、ユラ達がまだ10代半ばの少女であったがゆえだろう。 今思うと、酷いことをしていたものだ。子供とは残酷なものである。 だが、そんな悩める乙女だった彼女も、それから後恋人ができて結婚し、子供を生んで離婚をし、今では女手ひとつでその子を育てているというのだから、人生というのは分からない。 彼女がその方法を実践したかどうかは聞いていないが、1年ほど前、久しぶりに会った時には、以前より若干大きくなっているように見えた。やはり、少なからず効果はあるのだろう。 だから、リチェアも実践してみればいいと思うのだ。幸い彼女には恋人がいるのだから、コトは簡単である。 けれど、とユラは顔を真っ赤にする。 (”イザナに揉んでもらったら”、なんて、そんな生々しいこと、あたしには言えないわッ!!) 湯気が立ちのぼりそうなほど火照った頬に両手をあてて、ユラは身悶えた。 リチェアの相手がほとんど面識のない人だったなら、そんなに気にすることなくサラッと言ってしまえただろう。だがイザナは当然よく知っている人だし、長期間共に旅をしている仲間で、ついでに言えば朝から晩まで一緒に行動しているという、最早家族にも等しい存在である。リチェアもまた、同じだ。 ”家族”同士がそういうことをしているという事実は、とってもこっ恥ずかしい。 いや、すること自体は大いに構わないのだが、わざわざそれを勧めるようなことを言うのは、ユラにはとてもできなかった。所詮、彼女は耳年増なだけの純情可憐な乙女にすぎない。 ユラが悶えている間、リチェアは口元に手を添えて何か考えているようだった。 「……………そっか……………」 ちいさくつぶやいて、少女はにっこりと微笑む。 「そうだね!刺激がいいよね!私、がんばるね!」 胸の前で両拳をグッと強く握り締めるリチェアに、ユラは軽い違和感を感じた。そしてすぐにその正体に気付く。 「…………って、リっちゃん、まさか…………」 「ありがとう。ユラちゃんは、やっぱり物知りだね。相談して良かったよー」 花のように可愛らしい笑顔。そこには、一点の汚れもない。 そんな表情を見せられては、”男にしてもらう”などという自分の考えが、酷く浅ましいものに思えてくる。 (そうよね。どっちにしろ、効果は変わらないだろうし) 要は、リチェアの悩みが解消されればそれでいいのだ。リチェア自身が気にしなければ、何ら問題はないだろう。 そう結論づけ、ユラもまた、笑みを返した。 「うん。大きくなるといいね、リっちゃん」 この際、ソレがイザナに露見した時のことなどは、考えないでおく。 |